盛岡絵暦と夏の判じ絵

節分・立春のときに絵暦(田山暦)を紹介しましたね。

今回は作成された場所が異なる、盛岡絵暦の方を紹介します。

田山暦が横長の絵暦だったのに対し、盛岡絵暦は縦長です。

『盲歴張交帖(盛岡絵暦)』 国立国会図書館アーカイブより

分かるところだけですが、解読に挑戦してみます。

暦年を解読

まずは1番上の部分。

サイコロといくつかの絵柄が並んでいて、右から左へと

「元号」「干支」「和暦」

となっています。

元号を推定するのが難しいのですが、サイコロの合計が9なので、和暦で九年ですね。

江戸時代までは頻繁に改元が行われていたので、9年以上続いた元号に絞るとよさそうです。

しかも、

この絵は「井(い)」を「背中(せ)」に背負っており、これだけで「せい」と読みます。つまり、9年以上続いた「せい」の入った元号が正解のはず。

すると、「寛政(13年・1789年~1801年)」「文政(13年・1818年~1831年)」の2つの元号に絞られます。

この絵が「かん」と「ぶん」のどちらなのか検討すると、文章が書かれているように見えるので、「手紙・文」を示す「ぶん」になるかと思います。

ということで、この絵暦は「文政九年(1826年)」の暦と言えるでしょう。

ちなみに、文政九年は「戌年」

なので、この絵も「犬」に違いないですね。

月を解読

何年の暦なのかが分かったところで、月日についても解読してみましょう。

2段目の左右に配置されているものを部分的に切り取って並べてみました。

刀の下にあるすごろくの目は、1~12まであるので「月」だと分かりますね。

動物はその月の干支です。

また、2つの刀が何を示しているかというと、左側の小さい方が脇差(小太刀)なので「小の月」右側の大きい方が本差しの刀なので「大の月」ということになります。

旧暦では1か月の日数は新暦よりやや少なく、

「大の月」1か月が30日「小の月」1か月が29日

となるので、文政九年の1月は30日まで、2月は29日まであった、ということになりますね。

なお、閏月の場合は、

別の年の暦ではこちらの絵が使われていました。

人の下半身のようなので「又」を意味しているのでしょうか。

「○月の次は “また” 同じ○月が来るよ」とイメージさせているのでしょうね。

日にちを解読

さて、あとは日付を解読していきましょう。

すべての判じ絵を解読できるわけではないので、夏の暦のものだけ見ていきます。

まずはこちら。

右の列の絵が、鉢(8)、重箱(10)、鉢(8)、中央の絵が矢(夜)となっていることから、「八十八夜」となります。

なお、左の列が日付のことなのですが、サイコロの目が月を示しているので3月。

重箱が2つあるので20です。

1番左下の絵がよく分からないのですが、数字に置き換えられそうなもので考えると「七輪」なのではないかと思います。

これが正しければ、3月27日(旧暦)が「八十八夜」ということですね。

この判じ絵は比較的シンプルでした。

つづいては、

何かを運んでいますね。実はこの人は盗人で、判じ絵は「荷奪い(にうばい)」のシーンを描いています。

「にうばい」から「にゅうばい」をイメージさせているので、5月11日(旧暦)は「入梅」です。

最後はちょっと分かりづらい、おじさんのイラストです。

おじさんの額がポイントで、どうやら「禿(はげ)」が生(しょう)じて悩んでいるみたいです。

「はげがしょうず」から、5月27日(旧暦)は「半夏生」になります。

この判じ絵が1番難しかったかもしれませんね(笑)

読み書きができない人のために作られた絵暦ですが、遊び心があって面白い暦ですね。

ちなみに、南部めくら暦の絵暦堂では、今も絵暦を作成していて当時の習俗を現代に伝えています。

南部めくら暦の絵暦堂

南部めくら暦の絵暦堂 | 風雪二百年、江戸時代の姿そのまま 今、尚生き続ける民俗資料の販売のお店です。

去年、令和二年版を取り寄せたので、

今年の分も注文しなくては。

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