今年は26日(土)の「UMKスーパーニューススペシャル みやざきこの1年」に出演して、仕事納め。
例年ではVTR収録だけですが、今回はスタジオ出演もしてきました。
年末のニュース特番では、「天気のサカイ目」もスペシャル版でお送りしていて、普段はなかなかできない遠出しての取材もしています。
神代の頃の「ステイホーム」
今回取材に向かった先は高千穂町。
注目したテーマは、コロナ禍で生まれた言葉でもある「ステイホーム」。
今年はステイホームで家にこもることが多かったかと思いますが、最も有名で、おそらくもっとも古いおこもりが神話の里の高千穂にはありますね。
そう、今回は天岩戸神話、岩戸隠れの謎を探ってきました。
神代の昔、神々が暮らしていたころ。
太陽の神様である天照大御神には須佐之男命という弟がいましたが、須佐之男命の乱暴さに怒り、天岩戸に隠れてしまいます。
世の中が真っ暗になって困った八百万の神々が天安河原に集まって相談し、試行錯誤しながら再び天照大御神に天岩戸から出てきてもらうまでの物語が、天岩戸神話です。
神話の詳細はこちらへ
神話と現実の共通点
神話や伝説自体は現実離れした展開が多いのですが、決してただの夢物語ではなく、現実の出来事が元になっていることがあります。
例えば、古事記や日本書紀でのイザナギとイザナミの一説です。
亡くなったイザナミに会うためにイザナギが黄泉の国に向かったものの、蛆の湧いたイザナミを見て地上に逃げ帰る場面は有名ですね。
南九州では古墳時代に多くの地下式横穴墓が作られており、出土品の中には蛆のサナギが付着したものもあるので、神話における黄泉の国の記述は当時の埋葬の様子を表現したものと考えられます。
ギリシャ神話でも、オルフェウスが死んだ妻(エウリュディケ)を連れ戻すために冥界へ向かうくだりがあるため、葬送に関する出来事が各地で神話や伝説として残った、と推論してもあながち間違いではないでしょう。
さて、脱線してしまいましたが、天岩戸神話はどんな出来事を元にしているのかが本題です。
天照大御神が岩戸にこもる、ということは太陽が隠れてしまうことなので、まず考えられるのは、
「皆既日食」
また、破局的な噴火により、長期間に渡って空が厚い火山灰に覆われる、
「カルデラ噴火」
も十分に考えられます。
ただ、直近で起こった約7300年前の鬼海カルデラの噴火では、大量の火砕流によって九州の縄文人が絶滅しているので、カルデラ噴火を語り継ぐ人間がいるとは考えにくいですよね。
ここは「皆既日食」説を掘り下げていきましょう。
神話の記述が示す現象
天岩戸にこもってしまった天照大御神に再び外に出てきてもらうため、岩戸の外で神々たちがいろいろなことを行います。
まず初めに行ったことが、
長鳴鳥を聚めて、互いに長鳴きせしむ
長鳴き鳥とは鶏のことで、夜明け頃のタイミングで鳴くことから太陽の神様を呼ぶ力があると考えられていました。
なお、これは皆既日食になって空が急に暗くなると、鳥獣たちが驚いて騒ぎ出すことにつながります。
2009年7月に皆既日食が起こった際に、私も上海へ行って観測しようとしていたのですが、残念ながら悪天候で直接観測することはかなわず…。
ただ、皆既になっている間は真っ暗になり、観測に来た人たちもざわつきました。
私も皆既の瞬間には興奮して落ち着かなくなったので(観測はできませんでしたが)、騒ぎ出す鳥獣の気持ちはよく分かります。
そしてもう1つが、
細に磐戸を開けて窺す
岩戸の外で天鈿女が舞をして神々が騒ぎ立ているときに、外での騒ぎが気になった天照大御神が、少しだけ岩戸を開けて外の様子を窺っているところです。
これは皆既日食が終わり、太陽が再び光を放ち始めた時に起こる、ダイヤモンドリング現象にも通じます。
ダイヤモンドリング現象などの様子(国立天文台HP)
月の影から太陽の光が漏れ届く様子は、チラ見しているようにも感じられます。
こうしてみていくと、明らかに皆既日食の特徴を示していますね。
実は「岩戸神話=皆既日食」説は、江戸時代の儒学者・荻生徂徠が『南留別志』で言及したことが初めてとされており、岩戸神話と皆既日食の関係は古くから注目されています。
いつ起こった現象なのか?
神話の内容が現実の出来事とリンクしているのであれば、その出来事がいつ起こったのか知りたくなるのが人の常。
それを調べるのにちょうどいいサイトがありました。
なんと、アメリカ航空宇宙局(NASA)のHPでは、紀元前20世紀から紀元30世紀までの日食帯を計算しています。
地球の自転は海洋による摩擦の影響で少しずつ遅くなっており、一日の長さも少しずつ長くなっているため、計算された日食帯も誤差が生じる可能性もありますが、古代の日食を知るうえで大いに参考になります。
天照大御神がいた時代は神代の頃であり、具体的な年代は分かりません。
なお、子孫である初代天皇の神武天皇が即位したのが皇紀元年(紀元前660年)であり、庚午年(紀元前711年)に生まれたとされているので、時系列的にはこれよりも前の年代に起こった皆既日食ということになります。
ただ、『古事記』が712年、『日本書紀』が720年に編纂されているため、年代が1500年以上も離れてしまいますね…。
これだけ時代が過ぎると、散逸して後世に伝わりづらいような気がします。
イザナギ・イザナミの黄泉の国の説話のモチーフと考えられているのが地下式横穴墓、という話をすでに説明しましたが、岩戸神話も同じような時期の出来事をモチーフにしたのかもしれません。
地下式横穴墓は5~6世紀によく作られたらしいので、少しさかのぼった3世紀以降に九州付近で起こったと思われる皆既日食を挙げてみます(NASAの食帯図を加工)。
3世紀
247年は九州北部で見られたか微妙。248年は主に東日本。
4世紀・5世紀
337年は主に南の海上。454年は九州全土で見られたか。
6世紀
520年は沖縄付近か。522年は本州から九州北部。574年は東日本の沿岸部中心。
なお、時刻のTDは地球力学時のことで、惑星運動の計算に用いられる時刻系です。
時刻系は私も詳しく理解できていないのですが、協定世界時(UTC)はTDから1分強遅れているので、TDに約9時間1分足すと現在の日本標準時になります。
だんだん絞られてきたので、どの日食が神話の元になったのか、私なりに考えてみました。
皆既日食 | 根拠 |
247年・248年 | 2年連続で発生し、人々のインパクトも大きいのでは? 卑弥呼の死亡(248年)に関係して記録が残されたか? |
454年 | 九州の多くの住人が体験し、伝承が多く残ったか? |
520年・522年・574年 | 生涯に3回体験した人間(長老的存在?)が後代に残したか? 記紀編纂の5世代程度前の世代で、比較的年代が近い。 |
いろいろと検討してみましたが、最終的に答えを出せそうにありません…。
ただ、高千穂町内では石器などが多数出土しているので、古墳時代には人が定住していたことは間違いないでしょう。
特定の皆既日食、というわけではなく、過去に日食を体験した記憶が積み重ねられ、神話という形で記録に残されたのかもしれませんね。
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