先週末までは、昨日の皆既月食が見られることを楽しみにしていたのですが、やはり梅雨前線の動きは悩ましい。
結局夕方ごろから雨が降ってきたので、天体望遠鏡を出すまでもありませんでした。
最後に天体望遠鏡で皆既月食を見たのは高校生の頃だったので、新しい望遠鏡で見たかった…。
ところで、今日は百人一首の日なんですよ。
文暦二年(1235年)5月27日に嵯峨中院で和歌百首を書写して障子に張り出したことが由来とされており、その様子を藤原定家が『明月記』に記しています。
なんとここでも月が出てきますね(笑)
原文を確かめてみたくなったので、『明月記』の原典を当たってみました。
当日(文暦二年五月廿七日)の記述がこちら。
ちゃんと解読することはできないのですが、「嵯峨中院」や「古来の人の歌を一首ずつ、天智天皇から家隆・雅経に及ぶまで」と書かれていて、百人一首感が表れていますね。
天智天皇は
秋の田の 仮庵(かりほ)の庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ
わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ
の詠み人です。
百人一首の1番目の和歌なので、聞いたことがあるのではないでしょうか。
また、家隆・雅経からはこちらの歌が選ばれています。
従二位家隆(藤原家隆)
風そよぐ ならの小川の 夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりける
参議雅経(飛鳥井雅経)
み吉野の 山の秋風 小夜(さよ)ふけて ふるさと寒く 衣うつなり
中学生の頃に百人一首大会があったせいか、和歌は今でもわりと覚えているのですが、詠んだ歌人となるとイマイチぴんときません。
ただ、その中でも最も印象に残っている歌人が、蝉丸。
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関
を詠んだ法師ですね。
なぜこの歌人を覚えているかというと、「蝉丸」という名前のインパクトも理由の1つです。
最大の理由として考えられるのは、坊主めくりの際に頭髪の有無が頭巾で確認できないものの、強制的に坊主認定される理不尽さからなのでしょうね(笑)
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